STORY 05

シャトー・メルシャン

日本ワインを日本に根づかせ、
世界に知らしめるために。

シャトー・メルシャン

1877年に設立された、日本最古の民間ワイナリー、大日本山梨葡萄酒会社の系譜を受け継ぐメルシャンのフラッグシップブランドの『シャトー・メルシャン』。国産ブドウ100%を原料に、「フィネス&エレガンス」(調和のとれた上品な味わい)を表現したそのワインは、国内外のコンクールで長年にわたり高く評価され、金賞を含む受賞歴は500個以上を数える。さらに、高い品質とともに注目されるのが「挑戦の歴史」であり、その取り組みは今も脈々と受け継がれている。

※内容・登場社員の所属は取材当時

チャレンジしない限り成長はない、という教え。

 『シャトー・メルシャン』のブランド担当である池田真人は、日本ワインの歴史において一つのターニングポイントとなったのが、〈信州桔梗ヶ原メルロー1985〉の誕生と話す。
 時は1976年。日本ワインの醸造においては、食用に栽培したブドウを用いることが一般的であった。そんな中、メルシャンは長野県塩尻市の桔梗ヶ原地区で、メルローというワイン醸造用品種のブドウ栽培に着手する。欧州系の品種が日本の気候風土で本当に育つのかもわからない時代に、メルロー1品種に的を絞った大胆な改植を行ったのだ。そのブドウで仕込んだファーストヴィンテージが、池田の言う〈信州桔梗ヶ原メルロー1985〉であり、これがスロベニアで開催されたリュブリアーナ国際ワインコンクールにおいて見事、大金賞を受賞するのである。
 だが、池田が評価するのは、受賞に対してではない。

 「ブドウを植えると一口に言っても、真にワインの原料となるには最低7年かかります。しかも7年後のブドウが、良いワインになるという保証は当時、何一つありませんでした。栽培農家にしたところでその間、その畑が利益を生み出すことはありません。にもかかわらず、先人たちは日本ワインの未来をつくるには、品種の転換という大胆な挑戦が必須と信じていた。そして、実際に日本ワインをいきなり世界水準へと引き上げた。チャレンジしない限り成長はないことを、彼らはその行動で見事に実証して見せたのです」
 その後も新たな品種のブドウ栽培に着手したり、栽培方法を改良したりと、『シャトー・メルシャン』の挑戦は続いていく。そして、甲州ブドウを原料とした「シュール・リー製法」による辛口甲州ワインの開発に成功した際には、その技術を他のワイナリーに情報公開し、普及を図った。
こうした歴史を振り返りながら、池田は語るのだ。
「独自開発した技術をあえて一般に公開したのは、自社だけでなく、日本ワイン全体がもっと発展していく必要があるという思いからでした。強い信念をもって挑戦してきた先人たちの伝統を継承する私たちにとって、新しいチャレンジは職務において最も大切にしていることなのです」

重箱の隅が、突如として奥に広がるという世界。

  『シャトー・メルシャン』で製造を担う安ヶ平良人は、現場の挑戦について解説する。
「ワイン造りでは『はじめにブドウありき』と言われるように、ブドウの品質が良くなければ良いワインはできません。そこで農家の方々と連携しながら、さまざまな試みを行っています。ブドウに雨が当たらないような工夫を施したり、苦みを抑えるためにブドウに笠掛けをしたり、ブドウの熟度を上げるために除葉を行ったり、といった具合です。そして、その試験の評価を農家の方々と共有し、翌年に活かすということを繰り返しています」

とくに自分たちがやるべきは、ワイン技術研究所と協同しての定点観測、サンプリング、分析、フィードバックの部分だと安ヶ平は言葉をつなぐ。安ヶ平は日々、果汁の酸化を防ぐための亜硫酸の添加量の計算、酵母の活性化、副原料の添加と発酵管理、酒石を落とすための冷凍処理など、各工程においてさまざまな試みを実践しながら、原料となる各種ブドウの可能性を追求している。そして、その結果をデータとして蓄積し、日本ブドウ・ワイン学会などに発表。その内容が表彰されるという功績も残している。
「私たちの役割は、日本ワインの可能性を最大限に追求し、国内外において日本ワインの地位を確立することにあると理解しています。『適品種・適所』の理念のもと、ブドウの個性をしっかりと把握し、品種に合った栽培地の選定を進め、品種ごとのポテンシャルを最大限に引き出す醸造技術を確立していくことが、私たちの大きなテーマであり挑戦です」
 とはいえ、こうした壮大なヴィジョンに反し、その取り組みは地道な作業の繰り返しだと安ヶ平は笑う。まるで重箱の隅をつつくようだと。でも、その隅が突如として奥に広がったりするのがワイン造り。だからこの仕事は面白いのだと、楽しそうに語るのである。

日本文化の普及、発展に貢献できるという幸せ。

『シャトー・メルシャン』は、今やワインコンクールで名のある海外ワイナリーと肩を並べる存在にまで成長した。だが、当の日本では、海外ワインに比べると日本ワインの知名度は圧倒的に低い。
このような現状に対し、池田は語る。「『シャトー・メルシャン』の調和のとれた上品な味わいは、和食とのペアリングも抜群で、日本人の嗜好には間違いなく合うもの。もっと多くの日本人に、『シャトー・メルシャン』をはじめとする日本ワインを楽しんでもらいたい」

そこで今、池田たちが特に注力しているのがタッチポイントの拡大だ。具体的には、国内における中高級レストラン、シティホテルへの販売促進強化である。なぜなら、こうした店にはワインのストーリー、その価値や品質をお客様に正しく伝えられるオーナーシェフやソムリエたちがいるからだ。もともと日本ワインは限られた量の国内産ブドウのみで造られているため、生産できる数量に限りがある。それは『シャトー・メルシャン』とて同様だ。こうしたなかで自社のワイン、そして日本ワインを広く知らしめるためには、直接お客様にリコメンドしてくれるプロフェッショナルたちの協力が欠かせないのである。また、海外においてはブランドの価値がより高まるよう、ミシュランガイドに紹介されるような繁盛店への営業強化も行っている。
「当面の目標は、東京オリンピックが開催される2020年までに、首都圏すべてのシティホテルで『シャトー・メルシャン』が飲める状態になること。同時にワインリストを有する飲食店において、そのトップページに日本ワインを記載してもらえるようにすることです。これが実現されるだけでも、日本ワインの認知度は国内外で高まっていくと信じています」

日本文化の普及、発展に貢献できるという幸せ。

 池田は『シャトー・メルシャン』が体現するワインの特徴を、「日本庭園」とたとえる。すべてのものが調和しており、何一つ過剰なものがないからだ。こうした「フィネス(調和)」は今、ワイン界における一つの潮流となってきており、和食とともに日本ワインが海外から評価される理由にもなっている。また国内においても、日本ワインが媒介となって和食文化の新たな可能性が広がりはじめている。
訪日観光客が増え、東京オリンピックも控え、無形文化遺産に登録され和食が世界的に注目されている今、『シャトー・メルシャン』の取り組みは今後の日本ワイン、日本文化の趨勢を左右するといっても過言ではない。だからこそ、池田は次のように語る。
「先人たちからの挑戦のDNAを受け継ぎ、自社の利益だけでなく日本ワインの価値向上に寄与し、日本文化の普及、発展にも貢献できるのですから、私たちの仕事は幸せです」

池田 真人

メルシャン株式会社
営業本部 マーケティング部
2006年入社/経済学部卒

異業種の営業職として社内表彰を受けるほどの実績を上げていたが、結婚を機に「公私ともに悔いなく生きたと言える仕事がしたい」と、2006年にメルシャンに転職。営業を通じ、数多くの飲食店オーナーたちと交流を深めてきた。現在は『シャトー・メルシャン』のマーケティング担当として、商品開発や商品ポートフォリオの見直しなどに取り組む。

安ヶ平 良人

メルシャン株式会社
シャトー・メルシャン 製造部 製造課
2010年入社/生命環境科学研究科 生物資源科学専攻修了

大学院で微生物機能利用学を専攻。日本酒の酵母の研究を進める過程でワインにも興味を持つようになり、メルシャンのワイン造りにかける情熱と創意工夫に触れて入社を決意。現在は主に発酵管理を担当し、樽発酵や樽育成に取り組むが、仕込み時期以外は栽培農家の畑や自社畑に足を運んで、栽培のプロセスもサポート。ワイン造り一連に携わる。

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